※タイトルが少々突飛ですが、
これを身近にヒシヒシと感じる
親の危機感と
子どもの成長への期待値たるやもう…
と言う話。
小学六年生になる我が子には、
「国語教科書の音読」というミッション(宿題)が
担任の先生より連日課せられているらしく。
そのミッションを
欠かさずクリアしている…と証明するのが
母である私。
音読カードなるものに「聞きました」サインをします。
何となくそのミッションを聞いていると、
つらつらと読み上げる文の内容が…
濃い、濃い、濃い!
現在進行中の音読ミッションでは、
・自分が相手に向けて話をするときは
・周りを見て状況を判断して行動すべし
・相手にいやな思いをさせないようにするために
(順不同)
なんぞという論述を
平然とした顔で小学生が(宿題だから)読み上げます。
なんだこれは?
小学六年生でなく、
まさに大人こそ読まねばならん文ではないか!
周囲の状況判断をし、
相手の気持ちや現状を踏まえ、
自分の思いをキチンと伝えるようにしましょう。
独りよがりの押しつけはいけません。
聞いてくれる相手の立場になって…
的な、「共感を得られる話し方術」を、
今の小学生は学校で学ぶのです。
私が小学生だった頃は…(ぼんやり遠くを眺めてみる)
人間関係なんぞ,失敗してなんぼ。
けんかして仲直りして、相手を許せたのが小学生
けんかせず陰口の応戦で、相手を許せなくなる中学生
自分が苦手だと思えば、関わらないでいられた高校生
この人とも関わって行かねばと、協調することを意識した大学生
経験値を重ねてレベルアップ(したかどうかはさておき)するしか
手段がなかった様な学生時代を過ごした母としては、
「生きる力」を学校で習得できる子どもらが
本気でうらやましいと感じるのです。
教育指導要領が変わって、
アクティブラーニングとか
プログラミングとか
宣伝すると私もこのプログラミングとやら、
母(主婦)目線をもとに活動していますが、
時代に即して
学びの方法や中身はガラッと変わるんですね。
「かあちゃんこれ教えて!」と言われて
数学や国語、英語くらいはどうにか…ですが、
殊に社会なんて
学生時分に学んだ事がむしろウソになっていたり、
同じように、
時代や時勢で求められるスキル みたいなものも
全く違うんですよね。きっと。
だからこそ、
親は今の子どもの「学び」に敏感であれ。
私が学生の頃は…なんて
昔話ばかりしていても子どものために成らん。
と思ったりもするのです。
大人こそ、今の子ども達の学びを
一緒に共有するべきだな。と。
すらすらと読めるようになるのを確認しながら、
親の知識と経験を押しつけるのでなく、
そこから一緒に学ぶ姿勢が、
実は親にこそ必要なんじゃないかしら。
と思いながら、
子どもの国語教科書の内容を
注意深く聞いています。
たまに読んだ後の証明書きをうっかり忘れ、
後日「あれ?サインしたっけ?」と
見まがうほどに模倣したサインを書いてみせる
という離れ業もやってのける高学年男子。
まあ、そんな「小技」も
生きていく力…ってことで。
0コメント