どうしてわたしは「ライター起業」したのか その3決着編

子育てが日常の毎日で

すきあらば 仕事をすることを探っていました。

しかし自分の体と頭が思うように動かない…。

ただ、何とか働く方法がないかを考えていました。


扶養家族になって、しばらく社会人リハビリを

することになったわけですが

扶養家族といえど、収入があってもいいんです。

それなら

「無理しない範囲で」「扶養をはずされない収入」を

得ようと画策をはじめます。


副業しよう!とおもいました。

まずはショートタイムで働くために

今も働く事務所に雇っていただきましたが、

入所当時からわたしは「副業宣言」をしました。


実際に、ライターとはいわないまでも、

縁あってすでに物書きはしていましたし、

それを雇われパートになって

辞めるつもりは毛頭ありませんでした。


なにより、職業訓練校で学んだスキルが

パート採用の決め手だった…。

というのは、入所してから知ったことです。


パートの収入は(リハビリに付)ごくわずか。

でも、子どもの幼稚園費用や

寿命の近いくるまの買い替えなど

出費は待ってくれません。


すこしでも生活の足しになれば、

という思いでクラウドライター登録をしました。


はじめのうちはまさにジリ貧。

ま、とにかくやってみよう!と

本人はいたって前向き。


書けば書くだけ小銭が落ちる。

書いてチャリンというこの感覚は

わたしをすっかり虜にしました。


しかし、あるときを境に

私の生活は一変します。

パンダとペンギンがどどっと発動したあの時。


ばっさばっさとwebサイトを成敗し

ランキングの順位が超激変し、

ペナルティ続出したあのときです。


それまでデザインやイラスト案件しかなく、

自分から狩りに行かねばならなかった

原稿作成の案件が

この日を境にびっくりするほど増えます。


もう、どうしようも無いほどに増えて、

「書いてくれ!」と日に数十通メールが届き、


全てに答えることはもちろんできませんが、

月を超えるごとに執筆時間は増え、

書く量もスピードも上がり、


気がついたときには、

そのまま数ヶ月過ごせば確実に、

扶養枠をでてしまう所まできていました。

結局、夢や希望うんぬんではなく

起業やむなし だったのです。


どうせ出るならとことんやるぜ!

もう扶養に縛られずに

かけるだけ書くぜ!


…、これがパラレルワークの実情です。

ライターだけではなく、

パート就労している会社で働く時間も

子どもの成長に合わせて長くなり、


ダブルインカムそれぞれが、

およそ10年かけて順調に伸びてきました。


さいわい私には、

決算する簿記知識はありますので、

まよわず青申告をえらび、

税務とも上手に付き合うようにしています。


結局、時代にのってしまったのです。

でも、乗るために

学生時代の要約苦行や、訓練校の勉強や

師匠と呼べるひととの出逢いなど、


全てのひとつひとつが

今につながっているのだとも感じています。

やってみる に無駄なことはない。

やったことを生かす方法を探り

形にしていく環境を

自分で探しにいってみる…


これが、世の女性のみなさまに

求められているのかもしれません。


ぶっちゃけていえば、

起業は税務署と市役所の届出すれば

いとも簡単にできます。


ただ、それを続けていくために

責任と努力ができるかどうか。

会社勤めしている時のような責任感で、

一人仕事ができるか。


これがポイントかもしれませんね。

只今おうちで仕事中…ちくかくライターBlog

只今おうちで仕事中…ちくかくライターBlog

大分県に住むフリーライター 竹林みか の日常と活動を「ちく(竹林が)か(書)く」ブログ。 パラレルワークライター18年目。取材インタビュー原稿が主軸です。「書く」を「語る」依頼と同時進行、業務拡大を図る。 及川光博・DOMOTO・snowmanゆり組強火宮館担。薔薇をまとったエレガント男子好物。ネタ喰いつきは音速並。

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