休みを余儀なくされた日々とこれから しなやかに生きていきたい

※小中学校が3月から休校したように
我が家では、大人たちの時間も
これまで経験したことがないほどスローになりました。
そして、気持ちの持ちようでコントロールできる部分も大きいんだな…と実感しています。

何に焦って、何に向かって、

私はこれまで、あんなにがむしゃらな毎日を過ごしてきたんだろうね…

…な話。

※※先に断っておきますが、長いです。超長文です。依頼原稿なみの長さです。主観丸出しのコラムチックな感じです。こんなだらだらコラムをご所望の方がいらしたら、どうぞお声がけを、なにとぞよろしくお願いいたします。



コロナ休校の入り段階で、

子どもがみるみるうちにだらけて、遅起きして、宿題を溜めて行きました。

今では懐かしさすら感じるほど、休校が始まったころの受験生娘は、勉強にやる気をみなぎらせていたな…(遠い目)

気がつけば、自宅軟禁生活も3ヶ月の長丁場を終え、結果「夏休みよりも長い強制出停」になろうとは…
なんとなく予想したとしても、現実的にそれができることなのか?理想はそうだけど。まさか、全国で一斉に、大人も子どもも「はい、お休み!」なんて事態が現実に起こるとは思ってもみませんでした。
漠然とした想像が現実になって、その期間も一旦は収まろうとしている今日この頃。

振りかえれば、旦那様が2月中旬東京へ出張(自費、白目)に行く予定が入ったのは、1月中頃の事。
東京でなんか流行り始めてないか?くらいの感染情報を聞き、とりあえずキャンセルしては如何かなという話をしました。
毎年流行するインフルエンザと大して変わらないのでは?な俄知識を根拠にして、マスクを持たせ、防寒対策を試み、普段は現地調達主義の宿泊をあらかじめ予約するという…

我が家にしては、それでも万全の体制を整えて、お江戸に乗り込んでほんの半月後。あっちゅう間に関東圏でコロナ感染拡大。


こんなシチュエーションともなれば人なんぞ…全国、全世界のいたるところで未曾有の敵を相手に画策を練る、力なき極小生命体の集合だなと個人的に感じていましたが、その生命体のほんの一粒(私)の頭の中は密かに、

「とにかく広げないための心がけは貫きながら、あとはこの状況をどうにか楽しむしかないんやねぇか?」と考えていました。


ライティングセミナー受講者オフ会はオンラインに切り替えて(合同会社パッチワークカンパニーさんに感謝)、ライティング実況会もzoomでやってみたりしました。

これまで「出来たらいいなぁ」なんて漠然とした夢物語のように考えていたことが、自分で無理矢理「きっかけなんだ」と紐付けしてみると、案外あっけなく出来ちゃうものです。

ライティング実況は特段の事情で(思いつき)やってみたものの、これはこれでまた改めて記事に書くとして。


思っていたより困らずに、それなりに楽しく過ごせたのは、庭のある田舎暮らしだからでしょうか。これが、都会のマンションやアパート生活なら「外出は悪」的な空気が流れている時期もありましたし、耐えがたい状況に陥っている方々を想うと、ただ楽しかったなんて言うのも気が引けますが。


いろんなシーン、いろんな時間帯、人との関わりや物事の進み具合など…。オンラインが身近になって処理スピードは圧倒的に速くなっているのですが、どこか心がゆっくりとしたような。余裕というかゆとりというのか。

オンラインがいい!便利だ!などと、もてはやされ気味な感もありますが、やっぱりそれでもリアルの良さを痛感しているのは、今まさに、子どもたちではなかろうかと。

週2~3回の登校日を待ちわび、宿題はともかくクラスや同級生のみんなと、わちゃわちゃする時間が、カケガエノナイモノ のように傍から見ていて感じます。だって、学校に行った日は、やっぱりどこかすがすがしく、テンションも高めで明るい表情をしていますから。


ただ、きっと後にも先にも、「こんな春休み、こんな登校スタイル」は再び起こることはない(と思いたい)だろうし。そのなかでも、世の中全体がこれまでに経験したことのない、いわば非常識な日常の期間を、ど真ん中で楽しんだり考えたり、流れの中でたゆたう柔軟性というか、そんな力の大きさ・必要性を感じます。

生きる力、とでも言いましょうか。

自分のこれまでを振りかえられる年齢にはなりましたが、諸先輩たちのような”黄金時代”ではなくて。むしろ社会に出る前から受験と就職倍率でキリキリしたり、年を重ねるごとに年収は減っていったし、時代の流れを思い返せば一度だって、過去の節目を「良かった」と思ったことはありません。

それでも自分たち、何とかせにゃ!と、もがいてきましたよね。「あの頃は…」と思い出話する暇も余裕もなく、ただ生活と日常に一生懸命だったような気がする(のは私だけ?)。


どうにもならない流れの中で、なんとか生きていく。

少しばかり景気が良くなってきていると言われたここ数年。私の主観からすればそれは完全に まやかし・洗脳 だ!と思っています。時間やお金の使い方を”節約””辛抱”することが上手になっただけで、その辛抱や節約の反対ベクトルに”心の充足”があるだけ。

散財が豊かさの象徴だったバブル時代が終わって、変わる豊かさを こころ に求めて上手に自分をはげましたりごまかしたり、散財=イケナイこと的意識にシフトして、世の中的にその意識が確立されてきただけじゃない?


化粧品代が高くてどうにかならんか?

→宣伝してる一流ブランドじゃなくてもいいやん
→プチプラコスメで充分だし。

豪華名店フレンチに行く余裕ない
→カフェ巡りや隠れ家的レストランでリーズナブルに
→ファミレスランチでドリンクバー最高じゃん

が、一定数いるわけで。そこに貧乏くささや恥ずかしさなど無くて。

大分でいうところの『トキハ神話』というやつ。一昔前は、「プレゼント送るならトキハで買わんと!三つ輪がのっちょん紙袋はダメで。ひまわりんやつで!」…これが定説だったし、未だに義母は、私の誕生日プレゼントをトキハに出向いて選んでくれます。


大分県民なら分かってもらえるでしょうが、
大分トキハ本店(ひまわり袋=百貨店) > ex明野アクロス(三つ輪袋=スーパー)。
この力関係、私の肌感覚でいくと、70代以降の方に根強く残っているような気がしますがそれなら、私ら世代ならどうなの?といえば、

アクロスだろうがわさだタウンだろうがトキハインダストリー南大分店だろうが、
パークプレイスだろうが何ならディスカウントストアやホームセンターでも
全くおんなじもの売りよるけんね!

ということを知っていてプロパー(上代)で買うことがあほらしく(おい言い方!)感じるし、要は、気に入った商品そのものに満足すればよくて、購入場所に満足度を求めていないということですよ。


いや…百貨店にしか出展しないショップや卸さない商品・問屋もありますからね。トキハ本店は大分にとって大事な存在です。私、ハイブランドのバッグ大好きです(見る専)。

と、何となくフォロー的な文字も入れつつ。

そして遂に、店に出かける という行為すら覆すインターネットショップの多さよ…。
出かけずして何でも家に届けられるし、百貨店だろうがスーパーだろうが、購入までにかかる手間はさほど変わらず24時間いつでもポチられるし。
クレジットカードの還元政策や送料0円問題が勃発するくらい、どこの運送会社もショップ経営者もカード会社もサービスに敏感で、規模の大小にかかわらず、おまけやお得やポイントや初回購入特典やなんやかんや…。

いつもライティングで話すところの『プラスワンのベネフィット』ってやつが効果的で、それもむしろ当たり前レベルになってきているわけです。


例えば、店舗バイヤーの感覚だけで並べられる店舗店頭よりずっと多くの商品の中から、購入者側が直接自分でセレクトするのが当たり前化しているし、自分なりの満足度を上げつつサービスを受ける。

満足度をどこで感じるか、どの満足度を優先するか、も一人一人がチョイスできる時代だし、ほんと今って昔と比べて”発想自由”だしいろんな意味で”至れり尽くせり”だな、と感じます。


話が若干、脱線した感がありますが…

時代が変われば価値観が変わり、新たな価値も生まれて、
これまでに経験をしたことがないような、あとから思い返せば激動時代に例えられそうなどうしようもない力に対しては、人間って流れに身を任せつつ、出来ることをどうにかやっていこうとするもんなんだな。

stay home時間をどうやって過ごすか。それをいかに楽しく、しかも快適にするか。バラエティー番組でたくさんのネタを放出してくれたし、芸能人はみなさまリモートでテレビ出演。リモートで映画撮影したり、ドラマエンディングの演出にしちゃったり、むしろ”リモート”がドラマのキモになっている脚本もあるし。

いろんなやってみた的投稿がSNSで増えて、フォトジェニックを極めたい一般の人(素人)はyoutubeやオンライン講座でそっちのスキルも上げて…。やってみたかった、あんなこともこんなこともチャレンジする敷居がググッと下がりましたよね。

ずっとやりたかった事が、思いがけずプチ軟禁の間に実践できたって人も多いでしょう。

どうしようもないと言われそうな中で、自分の幸福感を維持して平静を保とうとする。この力って、やっぱり時代の産物だろうと思うわけです。


また、「人対人」が「face to face」よりも「文字対文字」にシフトしているのも、

それが1対1ではなく相手無数で、しかも「初めまして」すら言わずに、相手の気持ちを考えないまま自分本位の一人称感情を前置きなくぶつけることが出来てしまうのも時代の産物。

6歳以上の子どもは、学校時間以外も全部ひっくるめて、先生が管理・教育してくれるものだ、という(親の大きな)勘違いも時代の産物だし、それを「どうにかしなきゃ」と目覚めさせるのも世の中の流れ=外出自粛だったり誰かの熱い思いだったりして。


トレンドも流行も理想もヘイトも、マイナスもプラスも、全部ひっくるめて、個人がすぐに手にすることが出来る情報量がものすごく多くて、だからこそ、自分に合ったモノや自分が欲している事。そして相手がいるシーンであれば目の前の相手の事を、きちんと考えなきゃいけないなと思います。

ほんの数秒の間に感情が揺さぶられ、その感情のままにはき出すマイナスマインドは必要なのか。自分が伝えたいことは、そんな言葉なのか。それよりもっと違うことを伝えたり、提供したりすることの方が大事なんじゃないか。それにはやっぱり「時間的余裕」と「こころの余白」が必要だったろうと思います。

※昨今のSNS投稿問題に重ねられそうな文ですが、私の頭の中では”子どもを叱り飛ばす自分の姿”を想像しています…。


子どもと何度もけんかしましたし、自分のために勉強できないならやめちまえ!とも言いました。でも、自分のために何かを楽しんでいるモデル(親)がいなければ、経験と想像力に乏しい子どもは、何をお手本にすべきかも分かりません。


だから、というわけではありませんが…。

日常が覆って混沌とした初期に、オンラインで楽しく講座をしたり飲み会したり。その様子を子どもに匂わせつつ「なんだかんだって、やるしかなくね?」と付け加えながら過ごすうちに…

ギターをとにかくかき鳴らしてコードをマスターし、その努力する姿にすっかり気を良くした父親から専用アコギを買ってもらった & 前向きにトライする気持ちと落ち着きが戻って、今じゃ1日4時間のzoomオンライン塾を「楽しい!」という娘。

役が解らずに萎えて遠ざかった麻雀にふたたび手を出して、でっかい手をバシバシ上がれるようになった & 休校を休みだと勘違いしてよく寝たおかげで、身長が恐ろしく伸びた息子。

去年まで、目先の宿題進捗とテストの点数、勉強時間でしか子どもの様子を測れなくなっていたのに、家族全員でやるマリオカートと麻雀がルーティーンになった両親。
(ただ、学校に提出するノートへ息子があまりにも毎日麻雀ネタを書き連ねるので、別の意味で学校再開が心配である)


外出自粛の、あの時間がなければ、こうは変わっていなかったと思いますね。

目の前のことに気を取られすぎた日常が、プチ軟禁(外出自粛)という他力でいとも簡単に覆ってしまったものの、自粛解除になってみれば意外に世の中のみなさま『ゆったり過ごせた・楽しんだ』という方も多いらしく。

この3ヶ月は、これから先の人生に、きっとなにかしらのプラスになるはず。

無駄なこともいとおしく、頑張ったことを誇りと自信に変えて、逆風や荒波に感じる時期も、周りの人と一緒に自分らしく、しなやかに過ごして行けそうな気がするのです。
大変なのはきっとこれから。個人的に収入は激減していないけれど、世の中全体を見れば自分事=他人事ではないし。


これからの日常を、どうやって過ごすのか。考えて考えて、妄想してシミュレーションして、それでも思い通りにはきっと行かないから。

流される勇気とわずかな心の隙間をあけて、一瞬先のことに振り回されずにすごしていくのが理想ですね。






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大分県に住むフリーライター 竹林みか の日常と活動を「ちく(竹林が)か(書)く」ブログ。 パラレルワークライター18年目。取材インタビュー原稿が主軸です。「書く」を「語る」依頼と同時進行、業務拡大を図る。 及川光博・DOMOTO・snowmanゆり組強火宮館担。薔薇をまとったエレガント男子好物。ネタ喰いつきは音速並。

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